ホピ族は「平和の民」という意味を持つ、アメリカ最古の少数インディアンです。
北アリゾナの、聳え立つようなメサと呼ばれる高台の上で暮らす彼等は、自然を尊びながら静かに暮らしています。

いにしえの頃より受け継いだ神話や予言が今もしっかりと息づいており、生活の中心は
コーンなどの農耕と共に一年中行われる儀式や儀礼です。

また、類稀なる芸術性を持ち合わせているホピの人々はジュエリーやカチーナ人形
陶器やバスケットなどを主なる収入源としていますが、彼等の精神性を織り込んだそれらの作品は
今、世界的に注目を集めています。

目次をそれぞれクリックしてご覧下さい。

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ホピ族・概要
  ・どこに住んでいるの
  ・ホピ居留地
  ・ホピ・創造主との約束の地
  ・ホピの村
  ・家・家族・集団


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ホピのひとびとの暮らし
  ・ホピの暮らし
  ・ホピの農業
  ・ホピの家
  ・ホピの衣装
  

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ホピの人々の高い芸術性と精神性
  ・ホピのアート
  ・陶器
  ・ホピジュエリー
  ・バスケット
  ・カチーナ


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平和の民・ホピ
  ホピの預言
  ・ホピとしての道
  ・伝統派・推進派・中間派




※このページでは、今後もホピ族について資料など紹介したり、内容をどんどん充実させていく予定です。

>>ホピ族・概要


【地理】
ホピ居留地は、北アメリカのアリゾナ州にあります。



 【ホピ居留地】
「ファースト」「セカンド」「サード」と呼ばれる標高約2000メートルのテーブル状の台地(メサ)の上で約1万人の人が暮らしています。この3つのメサは約1000年前に、設立したと言われています。

現在はメサを降りて、周辺の町や大きな都市へ出る人達も増えましたが、
過酷な気象条件の中、まだ多くの人々が高地の上で暮らしています。

  【ホピ・創造主との約束の地】
 ホピの人々の住むメサは、いにしえからの創造主との約束による特別な土地です。

設立された3つのメサは、オリオン座の中心の3つの星を現すとも言われています。ホピの人々は、いにしえに創造主と交わした約束を忠実に守り、何百年もの時をかけ、壮大な旅を遂行してきました。

その間、自分たちに与えられた使命と役割を実行し、各地で様々な儀式を執り行いながら、現在の地へとたどり着きました。ホピの人々が辿ってきた旅の足跡は、各地に遺跡として点在し、岩に刻み込まれたペトログラフの絵が、その旅路と物語をいまに伝えています。


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 【ホピの村】
  「ファースト」・「セカンド」・「サード」と呼ばれる3つのメサ(高台)には村があり現在、その数は12となっています。

中でもサードメサのオールドオライビ村は、現存するアメリカ最古の村といわれています。

ホピでは、各村ごとに自治がなされ、考え方やライフスタイルなど、それぞれの村によって特色があり違いがあります。しかし基本は村の中心にプラザ(広場)があり、それを取り囲むように、人々の家、そして村の数カ所にキヴァとよばれる地下の礼拝所を持っています。


 【家・親族・集団】
 
(Photograph by Edward S. Curtis, 1900)

ホピの人々は、それぞれ「クラン」と呼ばれる母系の血縁関係によって、強く結ばれています。

クランは13の氏族に分かれており、それぞれ「熊」、「雲」、「太陽」、など動物や、自然を現す名前がついています。

産まれた子供は、母方のクランに所属します。

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 【ホピのひとびとの宗教性】
ホピの人々は、礼節と貞節を重んじ、子供の頃から数々の宗教的儀式を通して、善悪の道徳観念が教えられています。

ホピには代々受け継がれてきた神話、そして年間通して数多くの宗教的儀式があります。

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>>ホピのひとびとの暮らし

【ホピの暮らし】


農耕と儀礼がホピの人々の生活の中心です。
乾燥した厳しい環境の中、独自の方法でトウモロコシ、メロンなど、収穫します。
現在は、近郊の町へ働きに出たり、伝統的なジュエリー制作、カチーナ制作などで生計を立てる人も多くいます。


【ホピの農業】
雪解け水や夏のスコールなど水の集まりやすい谷底や、メサの下の渓谷に畑をつくります。

村の共同の水場からバケツでくみ、谷底へ降りて水撒きをします。トウモロコシ、スイカ、メロン、唐辛子、タマネギ、かぼちゃなどを作ります。

特に、トウモロコシを育てるということには、他者を敬う気持ち、謙遜する心、そして自然との調和など、全てと共に生きることへの重要なエッセンス、マサウ(自然の大霊)からの教えが込められています。

作物を作る祈りや精霊との交歓を重要視しながら、まるで子供を育てるかのように大切に育てます。
また収穫した作物は乾燥させ、次の年の為に保存します。
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【ホピの家】
釘を使わない大きな柱、泥と藁でできた壁など複層階構造の家が、ホピの伝統的なスタイルです。

現在は、トレーラーハウスなど、普通に現代的な家に住むホピの人もいます。


  【ホピの衣装】

(Photograph by Edward S. Curtis, 1900)
男性は、頭にはちまき、女性は、筒型のワンピースにマントを着るのが伝統的なスタイルですが、
現在でもお祭りや結婚式、大事な儀式の時には、伝統的スタイルで参加する人も大勢います。

また、未婚の女性は蝶々をモチーフにした髪型に髪を結い上げ、結婚と同時に髪型を変えます。


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>>ホピの人々の高い芸術性と精神性

【ホピのアート】

水を貯蓄する道具や、身につける衣服、それら、身の回りを守るものに、ホピの人々は祈りと意味を込めました。命の源となる水の物語、そして私たちがどこからやってきたのかという先祖から伝承された物語。

それら意味が込められた模様や、精巧な技術を持って作られた様々な日常の品は、その芸術性の高さから、1800年後半、外からやってきた西洋人達に深い感動を与えました。

以後、ホピの人達の手から生み出される、陶器やバスケット、カチーナ人形などの高い芸術性と精神性は、世界
中の注目を浴びています。

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【陶器】
生活に不可欠な大切な水を、くんだり、貯めて置いたりする道具として、生活に必需品であったホピの陶器。

外部に注目されだした今でも、型やろくろなどを使わず、土を巻ながら、こすり、成型していく方法は1000年前から変わることなく、また、その模様に込められた先祖代々の物語もしっかりと受け継がれています。陶器は成形された後、羊の糞などを燃料とした、家の外に設置された釜で焼き上げられ、絵付けがされます。

模様に使われる顔料は自然のものが使われ、ユッカ(yucca)とよばれる、葦のような植物の繊維を細くしごいた筆で複雑な幾何学紋様がフリーハンドで描かれていきます。

ホピの陶器は特にファーストメサにあるテワの村にものが有名です。
 

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【ホピジュエリー】

ホピの人々に伝わる、神話や伝説カチーナやクラン(部族)を現す文様などをモチーフとして作成されています。
作業は全て手作業。

2枚のシルバーの板材を重ね、上板のモチーフとなる部分を糸鋸で精密に切り抜いていくという気が遠くなるような作業を重ねオーバーレイと呼ばれる技法を駆使することにより、ホピジュエリー独特の風合いを持ったアクセサリーが完成します。

このジュエリー制作には、かなりの熟練とセンスと感性とが必要とされ、儀礼などを通しての清らかるスピリットで、祈りを込めて作り上げられた作品はアクセサリーという枠を超えて、芸術的なお守りともいえます


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【カチーナ】

ホピの人々は太古から全てのものにはカチーナ(精霊)が宿ると信じられてきました。

カチーナの種類は300種類以上あるといわれ、それぞれに神話や逸話があるとされています。

今でもホピの人々は、定期的に行われる儀式の折にキヴァと呼ばれる礼拝所やプラザ(広場)で、カチーナ面をかぶり、衣装を身にまとってダンスを踊ります。彼等はそこで、森羅万象からのパワーを授かり、日々の謙虚で平和な暮らしの為の糧としていくのです。


カチーナ人形は、精霊の意味を伝えるべく、ホピの子ども達にセレモニーの折に配られ、家宝として柱や壁に紐に吊るされ掛けられています。

カチーナ人形がホピ以外の人々に売られるようになったのは1870年以降といわれ、以後、その高い芸術性と供に世界的に注目され、現在はホピの平和のスピリットを伝える大切な芸術作品として愛されています。


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  【バスケット】
バスケットの歴史は古く、先史時代にも南米に同じようなタイプのバスケットが見つかっていることから、南米とホピとの関連性がここに見ることが出来ます。

北アメリカの中でも、ホピのバスケットはもっとも技術が高いとされています。他のプエブロインディアンの中でバスケットづくりが廃れている中でも、ホピの女性達は何世紀もの間、伝統的なやり方を継承し続けてきました。

また一方で革新的で芸術的な一面を持つホピは、伝統的なデザインの中から、カチーナや動物、様々な幾何学模様など、色もバリエーション豊かに様々に新しく美しいデザインを作り続けています。

コイル状に巻かれた型のバスケットはセカンドメサ、そして編み状タイプのバスケットはサードメサがそれぞれ有名です。


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>>平和の民・ホピ族


【平和の民・ホピが創造主と交わした約束】

自然のすべての目に見えないつながり、循環が滞りなく上手くいくように、大地をケアをすること、それがホピに託された使命とされています。

創造主との約束通り、ホピの人々は年間に数多くの儀式を執り行います。宇宙とのバランス、自然の均衡、その全てが支障なく延々と回り続けるように、との祈り。

平和の民・ホピ族といわれる由縁でもあります。そしてホピがその約束を捨てたとき、世界の均衡が崩れるともいわれています。

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【ホピの予言】

「ホピの予言」は、ホピが「ホピ」として生きるための基盤となってきました。
ホピ(人間)がこの大地に産まれ出たときに、創造主がマサウ(自然の大霊)を通じてホピに語った、神話、教示、預言など、代々秘密の内にホピの中で伝承されています。自然のサークルの秘密からこの世の成り立ち、そして今後のホピ(人類)の行く末などが語り継がれています。


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【ホピとしての道】

ホピの予言、そのうち、いくつかは、世界の終わりを感じ、危機感をおぼえた長老達の決断により、第2次世界大戦勃発時に、ニューヨークの国連にて世界へ向け公表されました。

いにしえに予言された、現在の状況の的確さに、一躍ホピ族は注目をあびました。今後の預言に関しては、終末的な見方もありますが、必ずこうなるという「予言」ではなく今のままいけば、こうなるという「預言」であり、現在の私たちの選択次第で未来は変えることができるという教示でもあります。



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【「伝統派」・「推進派」・「中間派」】


創造主、そしてマサウとの約束の元、粛々と生活を営んできたホピ族ですが、
時代の流れ、また侵略の歴史とともに、その伝統的な生活スタイルも変化しています。
現在ホピの村は、それぞれの考え方のちがいにより、主に「伝統派」・「推進派」・「中間派」と
よばれる3つのグループに分かれています。



「伝統派」・・・創造主・マサウ(自然の大霊)と交わした約束を忠実に守り、いにしえからの伝統と自然と密着した、昔ながらの生活を変えないグループ。電気・ガス・水道のない生活

「推進派」・・・儀式や伝統よりも、現代の欧米社会と同等な実権と経済的な豊かさに重点をおくグループ。合衆国インディアン局(BIA)から支援をうけ、組織だったホピ政府を持つ。

「中間派」・・・電気・ガスなど生活スタイルは現代的だが、スピリットはホピの伝統を重んじ、儀式にも参加をするグループ。ホピ政府のメンバーになっている人もいる。


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